1992年に美術のオリンピックとも言える、ドイツのドクメンタ9で行なった。
このころ、美術とはなんだろう。
作品のクオリティーとは何だろうと思っていた。
僕の作品は良いのか悪いのか。
この展覧会でのチーフキュレーターはヤンフートさんだったが、彼が選んだ世界中から集められた、この92年にとって重要な作家が選出され展示されていた。
当然僕は選ばれていないのですが、単純に僕の作品は世界に通用するのかという疑問から体に作品を装備してカッセルに向かった。
この移動型プチギャラリーには『私はあなたのオモチャ、名前は開発』と英語と日本語とドイツ語でプリントされた葉書と、肩の上からTVモニターで僕のドローイングが映し出されていた。
出発前僕は、きっと入り口で追い出されるだろうと思っていた。
ある意味でそう願っていたと言ってもいい。
ハイアートは存在し、僕のような作品は太刀打ちできない状況が存在し、またそこへ向かう努力と才能が必要なんだと再確認したい気持ちもあったからだ。
しかし僕は展覧会に入り、2週間で1000枚のポストカードを配り、同じく1000人ぐらいに撮影されインタビューも受けた。
見る観客にとって、ハイアートを見せる場所の中に存在してしまえば、ハイアートとしてしか見ることができないのでる。
管理側も最後まで僕を排除する事はなかった。
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